北へ。Diamond Dust ~Met in that day~
茜木 温子
“巡り会いの引力”
B
「悩むということ」
二月、私は実さんの誘いで高級そうなレストランで食事をしていた。
「しかし、僕も驚いたよ。結婚の相手がまさか温子君だったなんて」
ナイフとフォークを置きながら実さんが落ち着いた面持ちで言い、
「私も驚きました」
感情を含ませずに淡々と言った。
「これでシーフードレストランの事と合わせてめでたい事が二つになったよ」
「シーフードレストラン?」
私が聞き返すと実さんは、
「朝市に空いている土地があるだろう?あそこに建設することが決まって、僕が経営することになったんだ」
自慢げに意気揚揚と言う、その言葉に私は、
「えっ!」
驚きをあらわにしたものの、暗めの照明のせいか実さんは気付いていないようだった。
その空き地はお父さんがまだ生きている頃に私とお母さんとお父さんが住んでいた家があって、お父さんが死んでからは相続税の関係で土地を手放し、今は空き地になっているところだった。
それを聞いてからの私は、実さんが何を言っても簡単な相槌を打つだけしか出来なくなってしまった。
それでも実さんは気付かずに自分の話を自慢するかのように続けていた。
食事を終え、実さんと別れる。
「実さん・・・変わっちゃたな・・・」
以前の実さんはもっと周りに気を使う優しい人だった。でも、今日の印象ではそんなところがなくなってしまっていた。
あの時、片思いしていた実さんの面影がまったく見えることはなかった。
三月、赤レンガ倉庫にあるアフィーテ函館に私と旋花と三十人程の人が集まっていた。
今日は杜宇子の結婚式。
赤レンガのウェディングチャペル、その中の港や函館山が望める聖堂の座席に座り杜宇子と相手の彼が入ってくるのを待つ。
そして、
パイプオルガンの美しい音色と共に真っ白な衣装に身を包んだ新郎新婦が入場する。
式が始まり、賛美歌の斉唱、牧師先生の聖書朗読、祈祷、式辞、誓約、式は着々と滞りなく進行していくゆっくりと、荘厳に、そして、指輪の交換と誓いのキスが行われる。
式が終わり、二人の退場を見送りながら思う。
式の中で杜宇子の顔はとても幸せそうで今までみたどの笑顔よりも素敵で、輝いているようだった。
結婚か・・いいなぁ・・でも・・・
もしも、今、私が実さんと結婚したらあんな幸せそうな顔をすることが出来るのかな?
「おめでとう、杜宇子」
式が終わり、私と旋花と杜宇子は杜宇子の恋の始まった場所でもあるハーヴェストで紅茶を飲みながら、杜宇子に再度、祝福の言葉を送っていた。
「ありがとうございます。私もまだ夢なのではないかって思ってしまうのですけどね」
おどけて、杜宇子が笑う。その笑顔はやっぱり式の前よりも綺麗に見えた。
「でも、現実なのですよね」
結婚指輪を見つめながら頷く、そんな杜宇子を見て旋花が、
「あんなの見せ付けられたら私も早く結婚したいなって思っちゃったよ。温子もそう思わないか?」
私に同意を求めてくる。
私はあわてた。二人にこの間の勝手に決められた実さんとの結婚の話をして心配させるわけにはいかない。
「えっ・・ああ・・そうだよね」
動揺を隠して答える。
「だよな」
旋花の微笑みを見て、二人に知られなかったことに安堵する。
しかし、話は続いて、
「でも、相手がいないんだよなぁ・・今はそんな余裕も無いし・・」
旋花がぼやき、
「それは残念ですわね。温子さんはどうなのですか?」
杜宇子が話を持ち掛けてくる。
「う・うん・・いや・・私も仕事が忙しくてそんな暇、無いかなぁ・・・」
「あら、そうなのですか。温子さんも大変ですわね」
ふぅ・・なんとか、隠せたかな。そう思った瞬間、
「温子、何かあったのか?いつもと様子が少し違うようだけど」
うっ・・さすが旋花・・こういうことには鋭いわね。
「そっ・・そんなこと無いって・・・気のせいじゃない」
顔はなんとか平静を装っていたけど、内心では気が気でない状態で答える。
「うーん?・・まぁ、本人が言うのなら気のせいなのかな」
旋花のその言葉にこっそりと安堵のため息をついた。
三度目の別れの時、
旋花は私の肩を軽く叩いて、
「何か悩みがあって、話したくなったら遠慮なく相談してくれよ」
そう言って、搭乗口に向かっていった。
杜宇子は私の耳元で、
「恋愛の相談ならきっとお力になれると思いますから、いつか言ってくださいね」
ささやいて、改札口を抜けていった。
二人とも私が悩みを持っていて、それを話しづらく思っていたのをわかっていて何も聞かないでいてくれたんだ・・・
そんな二人の気づかいが嬉しかった。
「いつか、きっと、絶対に、気持ちが落ち着いたら言うからね」
結婚式の後に三人で一緒に撮った写真を見ながら、小さく、小さく、今ここにいない親友に向かってつぶやいた。
それから数日後、
今日も鮮魚店で働いていると、
「やあ、温子ちゃん。また来たよ」
穏和な声に振り返るとそこには仲都さん夫妻が立っていた。
「今年も蟹ですね。ちょっと待っててくださいね」
一度、店の奥に戻り、お届け伝票を持って来て仲都さんに渡す。
「はい、いつもありがとうね」
伝票を書き終えた深子さんが伝票を渡し、続いて代金を支払う。
「仲都さんは結婚してよかったと思っていますか?」
おつりを渡しながら二人にそう聞くと、仲都さん夫妻はニッコリと笑い、
「ああ、もちろんだよ。だから、こうして毎年思い出の場所を巡って、何度も何度もその原点を思い返しているんだ」
「喧嘩することもあったけど、それでもよかったと思えることの方が多かったから後悔なんて一度もしたことはないわ」
ぎゅっと手を握り、お互いの顔を見つめ合った。
「突然変なことを聞いてすみません」
そう言うと、深子さんが、
「温子ちゃんも年頃の女の子だから、そういうことに興味があるのよね」
懐かしむように言って、朝市の喧騒の中へ歩いていった。
その背中を見送りながら考える。
私は今、結婚したら幸せを感じることが出来るのかな?今はそうじゃなくてもいつかはそう思えるときがくるのかな?
結局、結論は出ず、悩みは深まっていく一方だった。
五月、函館にも桜が咲く季節が訪れた陽気な一日に、神宮司の旅館への配達から戻る途中に源さんが私に、
「はあぁぁ・・まったく、神宮司の女将さんにも困ったもんだよ・・いつになったら温子さんは決心がつくんですか?だってよ。いいかげんうんざりしてきちまったよ」
数恵さんのモノマネを混ぜつつもそう言った。
「ごめんね、源さん・・・源さんには関係ないことなのに・・・」
源さんはしまったといった顔をしながら、
「あっ・ああ・・そんなことねえよ。気にするなって」
困った感じの口調でぎこちなく言った。
それから私は、より一層そのことに悩むことになってしまった。
私の問題で他の人にも迷惑がかかっているのが辛かった。
「このカサゴください」
澄香さんがえらぶたや頭、特に背中の鋭いトゲが特徴的な魚を指差して私に言った。
「はい・・ちょっと待ってください」
足取り重く歩き出す。体がだるい・・・
「温子ちゃん大丈夫?具合が悪そうだけど・・・」
澄香さんがカサゴを袋に入れている私の顔を心配そうに覗き込む。
「いえ・・平気ですよ。これ位でへこたれる私じゃありませんよ」
袋を渡し、代金を貰いながら強がってみてはいるものの、ここ数日、調子が悪くてどんどん悪化していっているのはわかっている。
「ちょっとごめんね」
私の額に手を当てながら澄香さんが言った。
「わっ!すごい熱!温子ちゃん、本当に大丈夫?」
驚く澄香さんの顔がゆがんで見えた。
次の瞬間、世界の全てが揺らぎ、よろめき、澄香さんに。
私を呼ぶ澄香さんの声がドンドン遠ざかり全てが黒く染まって、何も見えなくなった。
目が覚めると私は知らない部屋のベッドで寝ていた。
体を起こし、辺りを見回すと必要最低限の生活用品と本がたくさん置いてある殺風景な部屋だった。
「あっ!起きたのね。よかった」
手に水の入った容器と布巾を持って、心底心配したというような顔をした澄香さんがこちらに歩いてきた。
「具合はどう?風邪をひいているのにあんまり無理しちゃ駄目よ」
容器を置き、水に布巾を浸しながら澄香さんが言う。
「私、どうしたんですか?」
自分がここに至った経緯がよくわからなかった。
澄香さんは私を寝かせ、頭に濡れ布巾を額に乗せ、
「温子ちゃんはね。ひどい風邪でお店の前に倒れちゃったんだ。それですぐにちゃんと休ませられる場所が温子ちゃんの家より私の住んでいるアパートの方が近かったからここに運んできたの」
ゆっくりと優しく言った。
「そうだったんですか」
「最近、温子ちゃんの元気がなくなって来ているのはわかっていたけど、何かあったの?」
納得した私に心配そうに聞いてきた。
「ちょっと疲れがたまっていたんだと思います」
嘘をついた・・あのことは私の問題で澄香さんには関係の無いことだから心配させたくない・・・でも、後ろめたい気持ちが重く心にのしかかった・・・
「そうなんだ。でも、具合が悪くなったらちゃんと言わないとだめだよ。我慢しすぎて取り返しのつかないことになっちゃったりすることもあるんだから」
たしなめるように言って、
「わかったらもう一度、寝た方がいいですよ。看病してあげるから・・あっ、その前にこれに着替えてからね」
続けて言い、パジャマを取り出し差し出した。
「澄香さん、会社に行かなくてもいいんですか?」
その質問に澄香さんは、
「たまには休んだっていいと思うから・・それに、病人を放ってはおけませんからね」
優しく、けどきっぱりと言った。
歌が、聞こえる。
♪ あなたが 見せる 優しい 笑顔
私はその笑顔に 心惹かれてく
近くにいるのに 話も出来ない
心の 距離は まだ 遠い
勇気を出して 声を かけよう
私の呼びかけに あなたは振り返る
心の距離が 一歩 近づく ♪
澄んだ声でゆっくりと静かに歌われる。一人の女性が彼に少しずつ思いを伝えていく・・そんな内容の歌に目を覚まし、身を起こす。
澄香さんが台所で何かを作りながら歌っていた。
「あっ・・起こしちゃったかな?ごめんね。うるさかったよね?」
湯気が立つ小さめの鍋と食器がのったお盆を持って、こちらに来ながらすまなそうに言った。
「そんなことないですよ・・それより、澄香さんは歌が上手なんですね」
食器を置いた澄香さんにそう言うと、照れを浮かべて、
「そんな・・全然、上手なんかじゃありませんよ。人前で歌ったこともありませんし・・」
謙遜して答える。
「私なんかよりずっとうまいですよ。ところでさっきの歌はなんていう歌なんですか?」
食器に鍋の中身をよそっていた澄香さんは、その質問にわずかに顔を赤める。
「この歌は『きっといつか』っていってね・・あっ!それよりもこれをどうぞ」
差し出された器の中にはお粥が装われていて、具に魚の細かい切り身が散りばめられていて、とても良い匂いがした。
「海鮮粥ですね。うーん、おいしそう。いただきます」
渡されたレンゲで粥をすくい、息を吹きかけ冷ましてから一口食べる。
「どう?おいしいかな?」
不安そうに私を見つめる澄香さんに、
「うん!とってもおいしいです。歌だけじゃなくて料理も上手なんて羨ましいなぁ」
羨望の眼差しを送ると澄香さんはやっぱり謙遜していた。
そうして、海鮮粥に舌鼓を打っていると澄香さんが唐突に言った。
「あのさっきの話・・歌のことなんだけどね。あの歌って私の今の状況と似ているところがあったりするの。もちろん、歌のように完結しているわけじゃなくて途中なんですけどね」
「そうだったんですか?」
「うん。私も歌のように好きな人がいるんだけど、こんな性格だからなかなか言い出せなくてずっと躊躇していたの。だから私、この歌に出会った時は私も歌の最後のように幸せになれたらいいなって思って、いつも歌っているんだ」
そこで少し間を置いて再び話し出す。
「だから、函館に転勤するのが決まったとき、行きたくなかった・・でも、何も言えずにここに来てしまった私が嫌いだった」
言いながら少しずつ顔を俯かせていた澄香さんが顔をあげ、私の手を掴む。
「だけど、今は違う。この函館の街が好き、自分に自身を持つことが出来た。それも全て温子ちゃんのおかげなんだよ。ありがとう」
「そんな・・私はたいしたことしていないですってば、全ては澄香さんががんばったからです」
いきなりだったので驚きながらも言い返した。
「でも、どうしたんですか?いきなりそんなこと言ったりして」
落ち着きを取り戻しそう言うと、澄香さんは残念そうな顔をして言った。
「私・・もうすぐ東京に帰ることになったんだ。だから、温子ちゃんにしっかりお礼を言っておきたかったの」
再び驚いた。澄香さんとは会ってまだ一年も経たないけど、おしゃべりしたり、買物にいったり、相談に乗ってもらったりといろんなことをして、楽しかったし、嬉しかったし、何よりいろんなことを教えてくれる素敵な人だった。
その澄香さんが東京に帰ってしまう・・・
高校を卒業して、旋花と杜宇子が函館を離れると知った時と同様に寂しく思った。
そのとき、旋花が言っていたことを思い出した。
『そういうときは無理してでも笑顔で見送るもんだ!別れたときに見た顔が悲しそうな顔だったりすると、次に会うときまで相手の印象が悪くなるだろ?』
そうだったね旋花・・いつかまた、会えるから・・
「ごめんね温子ちゃん」
表情が曇ってしまっていたのか、私の顔を見てすまなそうに言う澄香さんに精一杯の笑顔を向ける。
「大丈夫ですよ。また会う事だってあるんですから」
私の笑顔を見て、澄香さんも表情を明るくする。
「うん。温子ちゃんの言うとおりだね。いつかまたここにくるから、今度は観光客として」
「はい!その時は函館を案内しちゃいますよ!」
約束を交わし、もう寂しさも感じなくなった。
後は心に残る後ろめたさを解消しないとね。
「澄香さん・・実は私、風邪をひいた理由で嘘を言っていました」
その告白に、
「うん。なんとなくわかっていたよ。でも、温子ちゃんが言いたくなさそうだったから聞かなかったんだ」
ゆっくりと穏やかに答えた。
「やっぱり澄香さんはすごいなぁ、どうしてわかっちゃうんだろ?じゃあ、聞いてください」
澄香さんは何も言わずにゆっくりと頷いた。
勝手に組まれた結婚のことの経緯とそのことに対する私の気持ち、周りに迷惑をかけてしまっていることにへの悩みを全て話した。
「その心労で風邪をひいてしまったのね」
納得して頷き、
「それで温子ちゃんはどうしたいの?」
諭すように聞いてきた。
「私にもよくわからないんです。私の知らないところで勝手に決められたことを素直に受けることなんて出来ない・・でも、実さんが好きだったときもあったから・・・それに神宮司家に嫁ぐことでお店の経営を救うこともできる。だけど・・それでもやっぱり納得できない私がいるんです」
私の告白に澄香さんは、
「温子ちゃんがそう思っているのならもっと悩んでみればいいんじゃないかな?私だったらそうすると思う」
あっさりと言った。
「それだけですか?」
あまりの簡素な答えに聞き返してしまう。
「うん。だって、結婚っていうのは一生のことだもの。そんなに簡単に決めていいことじゃないし、誰かに言われたからってしていいものではないからね」
「でも、そのことでみんなに迷惑が・・・」
言い掛けた私の言葉を静止して、澄香さんが言う。
「そんなことで結婚なんかしちゃだめだからね。きっと後悔することになると思うから・・それに、周りの人だってわかってくれるはず・・だから、ね?」
「そうかも・・そうですよね。私、もっと考えてみます。後悔しないためにも時間をかけて」
笑顔になる私を見て、澄香さんも微笑む。
「そう・・いつかきっと温子ちゃんにふさわしい相手が見つかる。それがその実っていう人かどうかを見極めるためにも時間をかけて考えてね。私でよければいつでも相談に乗るから」
安堵の表情で私を見る澄香さんに私は、
「澄香さんは強いんですね」
ただ一言、そう言うと、
「その強さは温子ちゃんから貰ったもの・・だから、温子ちゃんも大丈夫」
励まし、その後に感謝の言葉を述べた。
「ありがとう」
「巡り合いの引力」
八月、強い日差しが夏を感じられる季節に私は、
「あいよ、温子ちゃん!今日も元気だね」
市場のおじさんから白く透き通ったスルメイカがたくさん入ったトロ箱を受け取りながら、
「それが取り柄ですから」
明るい笑顔で答え、走り出す。
茜木鮮魚店に向かって走りながら、澄香さんが東京に帰る前に言っていたことを思い出す。
一ヶ月前、
私は仕事の都合で澄香さんを見送ることが出来なくてお店にいた。
「おはよう、温子ちゃん」
聞きなれた声に振り返るとそこに澄香さんがいた。
「澄香さん!どうしてここにいるんですか?飛行機に時間に間に会わなくなっちゃいますよ!」
ひらひらと手を振る澄香さんに驚きながらもそう言うと、
「まだ少し時間があったから、温子ちゃんにちゃんとお別れが言いたくて」
時計も見ずにそう言った。そして、
「ねえ、温子ちゃん。まだ結婚のことで悩んでる?」
私がなんて答えるのかを知っているかのように笑顔で質問する澄香さんに、
「はい、まだ決まってないです。そう簡単に決められることじゃないですからね」
笑顔で答えると、澄香さんは笑顔を深めて言った。
「うん。やっぱり温子ちゃんはそうでないとね。真っ直ぐ自分を貫いていけるのが温子ちゃんのいいところなんだから・・動物で例えるなら、猪・・かな?」
「うっ・・澄香さんまでそんなこと言うんですか・・・」
最後の例えに反応してがっくりとうなだれると、
「えっ?私、何か可笑しなこといったかな?」
澄香さんは不思議そうに首を傾げる。
「高校の時によく一緒にいた友達が私のこと、時々『いのししあつこ』って呼んでからかっていたんです」
「そうだったの、ごめんね変なこと言って・・」
納得した澄香さんは一言謝った後、続けて、
「でも、私はそんなに嫌なことじゃないと思うんだ。だって、自分のことを真っ直ぐ貫ける人なんて今はそんなにいないから、私だって温子ちゃんみたいに出来ないもの」
羨むように言った。
「うーん・・そうなのかもしれないけど・・やっぱり猪っていうのはちょっと・・あまりにもかわいくないですよ」
「他にいい例えがあるかな?」
澄香さんが意地悪そうに笑みを浮かべる。
「うーん・・・・・」
しばらく考え、
「・・思いつかないです・・・」
がっくりと肩を落とす。
「じゃあ、今度会うときまでに良さそうなもの、考えおくからね」
言いながら澄香さんは時計に目を落とし、
「もうこんな時間・・私、そろそろ行かなくちゃ」
残念そうに言い、
「最後に一つだけ・・一人で悩みすぎちゃ駄目だよ。時には自分だけじゃ解決できないようなことだってあるんだから」
そう付け加えた。
「はい、わかりました。また来てくださいね」
「うん、またね。意外とすぐ会うことになるかもしれないけど」
意味深な澄香さんの発言を問いただそうとする前に澄香さんは手を上げ、左右に振りながら去っていった。
『いのししあつこ』かぁ・・
澄香さんはああ言っていたけど、やっぱり気に入らないなぁ・・
そんなことを思いながら走っていると、すぐ前の建物の影から誰かが歩み出てきた。
「どいて!どいて、どいてぇーーー!!」
その人に大声で叫びながらも走りつづけ、
「えっ!!」
男の人は驚いてその場に立ち止まり。
「きゃああああああ!」
どんっっ!!
勢いよくぶつかり三段積んだトロ箱に入ったイカをぶちまける。
「うっ・・・・・・」
私は意識を失って倒れている男性を見下ろす。
ものすごく怪しい・・だってこんなにイカまみれなんだもん
ぶつかった勢いも手伝って、
「えいっ!!」
手元に残った一番下のトロ箱をその男性に投げつけた。
それがあの人との出会いだった。
それはまるで巡り合うための引力が二人をひき寄せ合っているようだった・・・
そして・・・
二人の物語が始まる・・・
Next story is “北へ。Diamond Dust”
終